今回は緑の革命と稲塚権次郎の話です
小さな映画館で上映される、緑の革命に大きく貢献した日本人
世界の小麦生産量は現在約6億tですが、1950年頃は約1億tでした。その頃の世界人口は約25億人でしたが現在はその3倍近いので、小麦生産量の増加がなければ今の人口は養えなかったでしょう。この生産量増加を可能にしたのが1950~60年代に起こった草丈が低く頑丈な半矮性品種の開発で、「緑の革命」と呼ばれています。それまでの小麦は人の背丈ほどの高さがあり、収量を増やそうと肥料を多くやると穂が重くなり倒れてしまいました。しかし、半矮性品種は穂が重くても倒れにくく収量が飛躍的に増加しました。この品種改良はメキシコにある国際小麦トウモロコシ研究所が主に行いましたが、開発された品種は発展途上国に提供され食糧危機の回避に大きく役立ちました。この功績が認められ、中心人物だったボーローグ博士は1970年にノーベル平和賞を受賞しています。
しかし、もともと半矮性をもっていたのは日本の農林10号という品種でした。昭和10年に育成された農林10号が戦後海外に持ち出され、海外の品種と交配されたことで緑の革命が起こったのです。農林10号を開発したのは稲塚権次郎という人で、富山県の貧農の生まれでしたが、苦学の末に農商務省に就職し品種改良に取り組みました。権次郎も世界を救った一人と言えるのですが、その功績はあまり知られておらず残念なことです。しかし最近、権次郎の親戚にあたる稲塚秀孝監督により「NORIN TEN(農林10)~稲塚権次郎物語~」という映画が作られました。小さな映画館で上映しながら全国を回っているため、知っている方は少ないかもしれませんが、小麦が主役の一人(?)の映画というのは他にないと思いますので、機会があれば是非ご覧になってください。
緑の革命のもととなった小麦農林10号
筆者:笹沼恒男
2018.5